読み物

20 5 月, 2014

中国と日本では「麺(めん)」の概念(がいねん)が違(ちが)います。
中国和日本对于“面”的概念是不同的。

中国では「麺(めん)」は全(すべ)ての「小麦粉(こむぎこ)食品(しょくひん)」を指(さ)します。つまり、「餃子(ぎょうざ)」も「ショーマイ」も「ショーロンポー」も中国では「麺類(めんるい)」なのです。しかし、日本で「麺類(めんるい)」と言うと一般的(いっぱんてき)には「ラーメン」や「うどん」や「そば」といった中国語の「面条」に相当(そうとう)する一部(いちぶ)の細長(ほそなが)い麺(めん)食品(しょくひん)という意味(いみ)なのです。従(したが)って、日本でよく食べられている「ラーメン定食(ていしょく)(ラーメン、餃子(ぎょうざ)、チャーハン)」といったメニューは中国ではありえません。中国人の感覚(かんかく)からすれば、「ラーメン定食」は日本人が「ご飯(はん)とパンを一緒(いっしょ)に食べる」くらいに滑稽(こっけい)なことでしょう。
在中国,“面”指的是小麦制品,也就是说在中国饺子、烧卖、小笼包都是面食。可是在日本,提起“面”,人们一般想到的就是拉面、乌冬面和荞麦面等细长的面食。也就是说在日本常常吃的拉面套餐(拉面、饺子加炒饭)在中国是不可想象的。对于中国人来说,拉面套餐就相当于日本看到有人把米饭和面包放在一起吃那样可笑。

中国では北魏(ほくぎ)から東魏(とうぎ)の時代(じだい)(6世紀(せいき)前半(ぜんはん))に「麺(めん)」が登場(とうじょう)し、唐代(とうだい)初(しょ)中期(ちゅうき)(7世紀)には汤饼(うどん)が発生(はっせい)、宋代(そうだい)(11世紀)が麺類(めんるい)の完成期(かんせいき)となりました。これがやがて日本に伝(つた)わるわけです。
在中国,从北魏到东魏时代(6世纪前期)开始有了面的记载,唐代中期有了汤饼(乌冬面),到了宋代可以说是面类发展的完成期,并在不久以后传到了日本。

日本で「麺(めん)」としての記録(きろく)が初(はじ)めに登場(とうじょう)するのは鎌倉(かまくら)初期(しょき)(12世紀)のことです。鎌倉中期(ちゅうき)には水田(すいでん)での小麦(こむぎ)栽培(さいばい)が始(はじ)まり、「麺食(めんしょく)文化(ぶんか)」が一気(いっき)に発展(はってん)していくことになりました。室町(むろまち)(14世紀(せいき)時代(じだい)になり「素麺(そうめん)」、「饂飩(うどん)」という言葉(ことば)が登場(とうじょう)し、「そば切(き)り」という言葉も登場、江戸(えど)時代(じだい)に入(はい)り「関西(かんさい)のうどん、関東(かんとう)のそば」と言われるまでに発展(はってん)しました。
在日本最早关于面的记载是镰仓初期(12世纪)。镰仓中期人们开始在水田里种植小麦。从那时候开始面食就一发不可收拾。室町时代(14世纪)开始有了“素面”、“乌冬面”等词汇,到了江户时代,形成了“关西的乌冬、关东的荞麦”的盛况。

こうして中国での麺(めん)文化(ぶんか)の形成(けいせい)から、それが日本に伝(つた)わるまでを見てみると、中国にルーツがあるのは「ラーメン」だけではないことがわかります。ラーメンの別名(べつめい)「中華(ちゅうか)そば」などからラーメンだけが中国から伝(つた)わったと理解(りかい)する傾向(けいこう)がありますが、全(すべ)ての「麺類(めんるい)」の原点(げんてん)は中国の「面条」にあり、それが日本へ伝(つた)わった後(あと)で「うどん」、「そば」、「ラーメン」へと派生(はせい)していたと考えるべきなのかもしれません。
了解了面在中国的发祥到传到日本的这个过程,就会感到从中国传去的不止是拉面,只不过因为拉面的别名是“中国面”,所以大家才以为只有拉面是中国来的。而实际上也许应该认为,所有的面类的起点都是中国的面条,传到日本之后演变成了“乌冬”、“荞麦”、“拉面”等等。

わたしは、明治(めいじ)末期(まっき)から東京浅草(あさくさ)にすでにあった中華(ちゅうか)料理(りょうり)店(てん)『来々軒(らいらいけん)』がラーメンを売(う)り始(はじ)めていたことからも、明治(めいじ)末期(まっき)から大正(たいしょう)にかけてのこの時期(じき)を「日本式(にほんしき)ラーメンの起源(きげん)とするのが妥当(だとう)と考(かんが)えます。ちなみに、この時期(じき)は日清戦争(にっしんせんそう)(1894年)直後(ちょくご)で、梁啓超(りょうけいちょう)・康有為(こうゆうい)らの呼(よ)び掛(か)けにより、清朝(しんちょう)が大量(たいりょう)に日本へ留学生を派遣(はけん)した時期(じき)です。当時(とうじ)、中国人留学生を受(う)け入(い)れる港町(みなとまち)である横浜(よこはま)と神戸(こうべ)に現在(げんざい)の中華街(ちゅうかがい)、南京(なんきん)街(がい)に相当(そうとう)する中国人社会(しゃかい)が形成(けいせい)されたのは自然(しぜん)の流(なが)れだったと言えるでしょう。
  从明治末年在东京浅草的中国菜馆“来来轩”开始卖拉面的事实也可以看出,明治末年到大正年间可以看成是日本式拉面的起源。而且这个时期甲午战争刚刚结束,在梁启超、康有为等人的号召下,清朝派遣了大批的留学生来到日本。当时接受这些留学生的港口城市,主要有横滨和神户,那么在横滨和神户形成类似现代的中华街、南京街那样的中国族群也可以说是很自然的事情了。

「明治維新(めいじいしん)後(ご)、各方面(かくほうめん)で西洋(せいよう)に学(まな)んだ日本は、中国の味(あじ)についても独特(どくとく)の調査(ちょうさ)を加(くわ)えた。そのため、東京には中国料理店も林立(りんりつ)し、その味(あじ)を楽(たの)しむ人(ひと)も増(ふ)えている」と当時(とうじ)、中国同盟会(ちゅうごくどうめいかい)を東京で結成(けっせい)した(1905年)孫文(そんぶん)も言っています。孫文(そんぶん)は1910年には辛亥革命(しんがいかくめい)により清朝(しんちょう)の打倒(だとう)に成功(せいこう)し、中華民国(ちゅうかみんこく)を建国(けんこく)するに至(いた)りましたが、日本のラーメン誕生(たんじょう)は「中国民主化(みんしゅか)の動(うご)きの副産物(ふくさんぶつ)」と言ってもいいのかもしれません。
当时,在东京成立了同盟会的孙中山先生也说过,“明治维新之后,在各个方面学习西方的日本,也没有忘记对中餐进行独特的改良,因此在东京中国餐馆林立,喜欢这种味道的人越来越多”。孙中山先生1910年开始的辛亥革命打倒了清王朝,建立了中华民国,日本拉面的诞生也可以说是中国民主运动的副产品吧。

<問題1>日本語の「麺類(めんるい)」に相当(そうとう)する組(く)み合(あ)わせを
1.ご飯、パン、ラーメン
2.ラーメン、餃子(ぎょうざ)、ショーマイ、ショーロンポー
3.ラーメン、チャーハン、餃子
4.ラーメン、うどん、そば

<問題2>本文(ほんぶん)と同(おな)じ内容(ないよう)のものを次(つぎ)から一つ(ひとつ)選(えら)びなさい。
1.日本のラーメンのルーツは中国ではなく、日本のうどんである。
2.日本のラーメンは日清戦争(にっしんせんそう)後(ご)、中国から訪(おとず)れた留学生が伝(つた)えたものである。
3.日本のラーメンを作(つく)ったのは孫文(そうぶん)である。
4.日本のラーメンは中国民主化(みんしゅか)の副産物(ふくさんぶつ)と言えるかもしれない。

分类: 日语 |

抱歉,该项目的评论已关闭。