日本の「七夕(たなばた)」の移(うつ)り変(か)わり/日本“七夕”节的变迁
28 3 月, 2014
「七夕(たなばた)」は中国から伝(つた)わりました。古代(こだい)中国の宮廷(きゅうてい)では「乞巧奠(きっこうでん)」という織姫(おりひめ)と牽牛(けんぎゅう)の恋物語(こいものがたり)をもとにしたお祭(まつ)りが行(おこな)われていました。これが大和朝廷(やまとちょうてい)に伝(つた)わったのが日本の「七夕(たなばた)」の始まりだそうです。
“七夕”是从中国传入的。在古代中国的宫廷,有叫做“乞巧节”的活动,这个活动是以织女和牛郎的爱情故事为基础的。听说这就是传入到大和朝廷的日本“七夕”的起源。
「七夕(たなばた)」が日本の民間(みんかん)に広(ひろ)まったのは室町時代(むろまちじだい)以降(いこう)と言われています。一説(いっせつ)では「乞巧奠(きっこうでん)」が伝(つた)わる前(まえ)から、日本には「七夕津女(たなばたつめ)」という巫女(みこ)が神(かみ)の降臨(こうりん)を待(ま)つという農村(のうそん)での行事(ぎょうじ)があったとも言われています。「七夕(たなばた)」が日本では「たなばた」と発音(はつおん)することから、中国から伝(つた)わった日本古来(こらい)が合体(がったい)したのは日本式の七夕(たなばた)なのかもしれません。
据说室町时代以后“七夕”在日本民间流传。有一种说法,在“乞巧节”传入之前,据说在日本的农村有一种活动,其内容是一名叫“七夕津女”的女巫等着神的降临。从“七夕”在日本读作「たなばた」来看,或许是将中国传入的传说和日本自古以来的活动合为一体,形成了日本式的七夕。
なお、笹(ささ)の葉(は)に短冊(たんざく)をつるす日本独特(どくとく)の習慣(しゅうかん)は、江戸時代(えどじだい)から始まったそうで、これは中国やアジアの他(ほか)の国(くに)では見ることができません。民俗学(みんぞくがく)の権威(けんい)である柳田(やなぎだ)国男(くにお)氏(し)によれば、江戸時代(うどじだい)までは都会(とかい)以外(いがい)の地域(ちいき)では民間(みんかん)人(じん)のほとんどが織姫(おりひめ)と牽牛(けんぎゅう)の伝説(でんせつ)を知らないで七夕(たなばた)の行事(ぎょうじ)を行(おこな)っていたということです。
另外,听说把写在竹叶上的诗笺挂起来的这种日本独特的习惯,是从江户时代开始的,这是在中国和亚洲的其他国家看不到的,据民族学的权威柳田国男说,一直到江户时代为止,城市以外地区的老百姓都是在不知道织女和牛郎的传说的情况下庆祝七夕的。
こうした歴史(れきし)から考(かんが)えると日本の七夕(たなばた)は中国の伝説(でんせつ)をもとにして、日本で独自(どくじ)に発展(はってん)した行事(ぎょうじ)と言ってもいいかもしれません。
从这样的历史情况来看的话,或许可以说日本的七夕是在中国的传说的基础上,在日本独自发展起来的节日。
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