鑑真(がんじん)について勉強したことがあります
26 9 月, 2012
記録(きろく)によれば、7(なな)世紀(せいき)から9(きゅう)世紀(せいき)までの間(あいだ)、何度(なんど)も日本の使節(しせつ)が中国に渡(わた)ったそうです。これらの使節(しせつ)が遣隋使(けんずいし)と遣唐使(けんとうし)です。彼(かれ)らは当時(とうじ)の中国の文化や政治(せいじ)制度(せいど)を学(まな)んで、それらを日本へ持(も)ち帰(かえ)りました。また、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)のように中国に残(のこ)って、皇帝(こうてい)に仕(つか)えた日本人もいます。
この時代(じだい)、小(ちい)さな船(ふね)で海(うみ)を渡(わた)ることはとても危険(きけん)です。彼等(かれら)にとって、中国へ渡(わた)ることは命(いのち)がけの旅(たび)だったでしょう。そして、そんな時代(じだい)に中国から、わざわざ日本へ渡(わた)って、日本の仏教(ぶっきょう)文化の振興(しんこう)に務(つと)めた勇気(ゆうき)ある僧(そう)がいました。日本の歴史(れきし)教科書(きょうかしょ)にも登場(とうじょう)する「鑑真(がんじん)」です。鑑真は、まさに、日中友好(にっちゅうゆうこう)を目指(めざ)すわたしたちの大先輩(だいせんぱい)と言(い)うことができるでしょう。
「中国で、鑑真(がんじん)について勉強(べんきょう)したことがあります。」
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据历史记载,从7世纪到9世纪期间,日本使节曾多次来到中国,这些使节就是遣隋使和遣唐使。他们学习当时中国的文化、政治制度等,并将学得的知识带回日本。此外,也有像阿倍仲麻吕那样留在中国为皇上效劳的日本人。
那时候,乘着小船远渡大海是非常危险的。对于这些使节来说,来中国就是用生命作赌注的旅行吧。那个时代,也有为了振兴日本佛教文化特意从中国前往日本的勇敢的僧人,他就是在日本历史教科书里也提到过的鉴真和尚。鉴真的确可以算是我们这些有意促进中日友好的人的老前辈了吧。
“我在中国曾经学过有关于鉴真的事迹。”
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